必要な「暗み」と「慎み」

現代社会では誘惑が多く、お金が出て行く管は多く、使おうと思えば切りがなく、お金を使うことができる。いくらあっても足りません。とはいえ、欲しいものを欲しいままに、お金を出して買える人は少ないでしょう。消費というものには、元に戻れない性質があります。上がった生活水準を下げることは難しい。

先人の教えでは、「自分の分を知り、それに見合った生活をすること」「貯まったものは将来の自分や社会のために使うこと」という考えが示されている。これは、老荘思想の「知足安分」とほぼ同じ意味である。お金に絡んで言えば「上を見て日僻まず、下を見て奢らず」「常に自分の分限を守り、それ以上の贅沢はしないことを意味する。決してこれは、少し上の生活を目指す向上心を否定するものではない。これは、そのときそのときの、場の雰囲気を損なわない節度や謙虚さ、自制心、を持つことが大切だということである。一方、「貯まったものは将来の自分や社会のために使うこと」という考えでは、特に社会のためにお金を使う姿勢が重要だ。アメリカでは多くの私立大学は、ビジネスで成功した大富豪の寄附で設立されている。日本でも一人の大阪市民による寄附をもとに「大阪市中央公会堂」が建てられたケースなどがある。こうした例は一般には縁のない大きさだが、小銭を募金箱に入れるだけでも、その志には大差ないことではないだろうか。

人として必要なのは「嗜み」と「慎み」なのではないだろうか。「嗜み」とは、経済力だけでなく知識・技術など、人としての総合的な能力をいう。「慎み」は、総合的な能力をひけらかさない自制心で「自分の分を知り、それに見合った生活をすること」にも通じる。