分からないものには手を出さない

一般的に、人にとっての投資対象は、換金性を考慮すれば金融資産であるということになる。自由化や国際化の進歩により、金融資産も多様化してきている。現状での金利水準では預貯金で増やすことは難しい、とはいえ高収益を得られる金融商品にはリスクも相当ついてくる。リスクとリターンのどちらか一方を追求すれば、どちらかを犠牲にせざるを得ないことを理解しておくべきである。

また、ITの進歩により、金融商品も複雑化してきている。なかには高等数学を用いて組み立て、幾層にも重なった資本化が進んだ結果、内面のリスクを把握することは難しい商品もある。人がそういう金融商品にであうときは、勉強しておき分かっているならいいが、そうでなければ、初めから手を出さないことがよい。分からない商品に、分からないままに投資するのは危険である。

近年では何かにつけて自己責任が問われる場面が増えてきた。だが、自己責任という言葉は、責任を負うべき人が自ら使うというより、他人から指摘されるほうが多いようだ。何かの結果、失敗した時に、自己責任である、といわれれば、それで全てが終わってしまう。だから、自己責任という言葉が無秩序な社会には冷たい印象を与える。

金融リテラシ一向上の必要性を指摘するのは、「治安が悪化しているから武道を習え」と言っているように聞こえる。だが、武道の達人だって、駅のホームで急に後ろから押されたら、落ちてしまうのではないか。武道の噌みがない人でも、ホームに立たないことでリスクは避けられる。

金融リテラシーも同じ。「読み」や「書き」に関する議論の前に、リテラシーの前提となる健全な価値観や心構えを育成することが大切なのではないか。